松田一男引退牧師葬儀説教「最後の登攀」牧野信成牧師 2016年1月13日 

神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。

 

(『テモテへの手紙二』4章1〜8節、『新共同訳聖書』)

 

 

 松田一男先生は現役を引退されてからご家族と共に西神ニュータウンの開拓伝道に協力されて晩年を過ごされました。「晩年」とは言っても20年もの長きに亘ります。板宿教会の牧師を辞職されても決して隠居されたわけではなく、奥様と共に教会を支え、近隣の教会での説教奉仕や講演にも精力的に出て行かれました。昨年暮れに先生は肺炎にかかって入院されました。クリスマスにお会いした時にはいつものように言葉をかわすことができましたので、また回復されるだろうと期待して祈っていたのですが、病院を移られて間もなく症状が悪化して、先週の土曜日に駆けつけた時にはご家族に囲まれて酸素マスクをつけておられました。その時にはまだ意識もあって、手を握りますとしっかりと二度、握り返してくださったのですが、ついに一昨日の12時21分、愛する息子・娘たちに囲まれる中、天に召されてゆきました。

 先生のご遺体を自宅に運び入れました時、私も同行して、初めて先生の書斎に入れていただきました。近年はもうケアハウスに入っておられましたので、ご自宅はしばらくそのままであったのですが、先生の仕事場もそのままで、つい今しがたまで牧師の働きを続けられていたかのご様子でした。机の上には広告の裏紙に書き込まれた翻訳中の原稿が束ねられていました。ゲルハルダス・ヴォスの『聖書神学』という、伝統的な改革派神学の名著です。その原稿の周りにガムテープで背表紙を補強した原本と、分厚い英和辞典が4冊置かれていました。目を挙げて右の壁を見ますと、そこには雪を戴いた真っ白なアルプス山の写真が数点掲げられていました。先生は山男であったとも伺っています。アルプスの峰の写真を眺めながら、こつこつと弛まない神学の研鑽に努めておられたご様子が、部屋から直に感じ取られました。

 牧師として、神学者として、ご自分をささげて来られた松田一男先生の生涯は、アルプスの登攀にも似た弛まないものでした。先生が牧師を引退なさる時、板宿教会の皆さんが先生の記念論文集を発行されました。その本の中で神戸改革派神学校の校長職を務められた吉岡繁先生が、神学の盟友である松田先生のことを評してこう記しています。

 松田一男の「神学的熱心」は、花火のように打ち上げられるがすぐ消えてしまうものではなく、静かに持続していくものである。彼の書くものも話すことも、決して面白いとは言えないが、その内容にはコクがあり、味わう時は確かな栄養となる。それは、読む者、聞く者にあるレベルを要求する。(『松田一男牧師神学論文集-板宿教会宣教34周年記念-』、7頁)

松田先生のお書きになったものばかりでなく、先生ご自身がそのような方でした。神学校で教鞭を取られていた若い頃の先生を私は存じ上げないのですが、西神教会でご一緒させていただいた数年は、まさに吉岡先生が表現する通りのご人格でした。寡黙で人に媚びることのない自分の歩調をもっておられる方で、愛想を振りまくようなことはありませんでしたが、決して冷たい方ではなくて、時に笑顔と握手でしっかり答えてくださる味わい深い方でした。

 先生が精力を傾けて来られた翻訳の仕事が十分に評価されなかったのではないかと思うととても残念です。こと神学の領域に限りませんが、翻訳という作業は「横のものを縦に直す」だけの機械的な仕事ではありません。カルヴァンの翻訳家としても知られる久米あつみ先生によれば、森鴎外、森有正、須賀敦子、村上春樹などの作家はいずれも翻訳によって自分の言葉を磨き上げた人々です。松田一男先生にもそのような自己鍛錬を行う賜物がありました。先生が翻訳を手がけたものの幾らかは書物になって私たちの手元に残されています。しかし、先生の取り組みは自分の業績を人に認めてもらいたいがためのサイドワークのようなものではなかったことは、未だ陽の目を見ていない幾つかの訳書が証明しています。ベルコフの『組織神学』やヴァンティルの『信仰弁証論』、ヴォスの『聖書神学』などは、いずれも神学校の教科書として指定されてきた改革派神学の王道に位置付けられる書物です。英語でそのまま読むのも骨の折れるそうした著作に、先生は真っ向から取り組まれて、コツコツとご自分で翻訳を続けられました。もちろん、ご自分のためばかりではありません。それが、自分に与えられた主からの召しであることを先生はよくご存知で、それらの重要な書物が日本語で読まれることが教会の確かな礎になると確信して取り組んでおられたに違いありません。

 松田一男先生は良い意味での保守王道を貫かれました。それは先生が受け継いだ神学の姿勢を表しています。先ほども触れた記念論文集の中に、先生が岡田稔先生の仕事について書かれた一文があります。松田先生は自分が岡田稔先生の後継者であることを強く自覚しておられました。そして、そこに自分の立ち位置を明確にして次のように述べています。

 組織神学の使命は、本来、単に消極的に、異なれる非聖書的な思想に対して、受け継いだ聖書的な伝統的な郷里を擁護するための戦いを戦うことだけではなく、常に、より充分な、より正確な真理の体系化を目指して伝統的遺産を絶えず改革してゆく使命を帯びている….岡田先生の神学は改革主義神学である。それは使徒たちがすえた唯一の土台の上に、先輩が積み重ねてきたその上に、積み重ねる努力にほかならない。しかしどんなに偉大な先輩でも完全を期しがたい。それゆえに建ててゆくにつれて先輩の置いた石が少し出っぱっていたり、石の組み合せが少しくるっていることが判明してくるだろう。それを訂正するのは後輩のつとめである。こうして、後輩は先輩と共に同じ一つの神の家を建てる光栄にあずかってゆくのである。岡田先生の神学には、先輩の賜物への深い尊敬がうかがわれる。また先輩の労作をいちべつしただけでとやかく言うような浅薄厚顔な神学ではなく、先輩の働きを十分に評価し、先輩の意図、目的を十分に、正しく汲みとった上でなされようとしている改革である。(同上、268-269頁)

松田一男先生の書斎にかかっていたアルプスの峰の写真は、あるいは先生が指導を受けた岡田稔先生の投影であったかも知れません。保守とはただの追蹤でも頑なな自説への拘りでもなく、先人の優れた働きへの尊敬だ、とは私もある先輩教師から教わったことがあります。松田先生は神学校の組織神学教授として岡田先生の衣鉢を継いで、その高い峰に果敢にチャレンジすることで、ご自身の使命を全うするおつもりでした。先の論文の最後にこう先生は記しています。

 われわれのような者が、先生にアタックを試みることは、横綱に幕下力士がぶつかってゆくようなもので、簡単にはたかれてしまうことであろうが、それでも先輩にぶつかって成長することが後輩の務めであり、先輩への真の礼儀というものであると思う。(同上、280-281頁)

ここに率直に述べられた松田一男先生の姿勢は、生涯の終わりまで貫かれて、教会に多大な功績を残しました。その遺産の多くはまだ先生の書斎に眠ったままです。

 先生の容態が急変したとの知らせを受けて病院へ駆けつけたところ、ベッドに横たわった先生は酸素マスクをつけられて、口を開けたまま苦しそうに息をしていました。何とかその苦しみを和らげることはできないかと願いましたけれども、そのまま体が冷えて動きが止まってしまうようには見えませんでした。むしろ、熱を帯びているようで、真っ白な先生の髪のご様子もあって、何かが内側で燃え盛っているようにも思えました。それは、先生の最後の登攀であったのでしょう。息を切らして、力を奮い起こして山頂にアタックする登山者のように、天の高みへ向かって、もう一息と歩みを進められたように見受けられました。

 登山家として海外にまで足を伸ばされた先生は、高い山を登りつめるその歩き方をよくご存知であったはずです。まずは一歩を踏み出さなければ、すぐそこに見えるようであっても、決して山頂には辿り着けません。足場を間違えれば滑落します。一歩一歩確かに、集中して、先走る気持ちを抑えて体を上に運びあげなければなりません。そうして我慢して登りつめれば確かに頂上にたどり着けます。それを信じているからこそ歩き続けることができます。

 

 パウロは信仰の先輩として、弟子のテモテに厳かに命じて言いました。

  神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。

約束された終わりを見上げよと言ったのです。神の僕に命じられた地上での生涯は、高い峰を目指して登るような人生の登攀です。そこでは忍耐が求められます。正しく道を歩んでいるかどうかを見定める知識と注意力とが求められます。主の僕として、召されて牧者となった松田先生もまた、次のような主の言葉を心に刻んで、それを実践して行かれたはずです。

 御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。

そして、御言葉の教師に召された多くの者が先生の元から旅立ちました。私たちはそれに相応しい尊敬を払って来たかどうか反省するところもあろうかと思います。けれども、先生にとってそれはもう過ぎたことです。先生もまた、パウロと同じように、きっと今は言うことができるからです。

 わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。

 キリストに定められた世の終わりを目指して歩む人には、「義の栄冠」が約束されています。人は何故苦しい思いをして山に登るのかと尋ねます。しかし、頂上にたどり着いてみなければ味わえない清々しさがあります。そこで初めて開かれる地平があります。最後の登攀を果たされて、松田一男先生の亡骸には何ともいいがたい清々しさがありました。その白髪の白さも手伝ってか、真っ白に燃え尽きたかのように思えました。体はそのようして灰になります。けれども、先生の魂はようやく天の頂点にたどり着いています。

 やがて私たちもまたその最後の登攀に臨みます。それを果たした時、一男先生がそこにおられて、「ほう、来たか」とまたいつもの笑顔で握手してくださるような気がしてなりません。こうして私たちは苦労して登りつめるにしても楽しみを一つ加えられています。年を重ねるたびに上り坂はきつく感じられるのですけれども、主イエス・キリストは最後まで私たちの同伴者となられて、御言葉をもって励まし、支えてくださいます。信仰を杖にして、互いに励まし合いながら、キリストのおられる高みを目指して残された生涯を歩みたいと願います。

 

祈り

お選びになった主の僕を通して、私たちを養い育ててくださる天の御父、あなたが私たちにお与えになる道は時に険しく、くじけそうにもなるのですけれども、あなたの憐れみは私たちから取り去られず、最後まで歩み通すことができるように支えてくださいます。今、松田一男先生を天の主イエスのもとに迎えられたあなたを、私たちも共に見上げて、あなたの備えたもう道を誤らずに一歩一歩進んでいくことができるようお守りください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

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牧師 弓矢健児 (ユミヤケンジ)

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