第六回 教会の職務(2)長老

はじめに

1. 長老主義の原則と職制

(ア)  教会におけるキリストの主権

(イ)  三つの職能 ― 教師、長老、執事 // 預言者、王、祭司

(ウ)  長老主義の原則

2. 治会長老の務め

(ア)  議会権能

(イ)  職制権能

3. 長老をどのようにして選ぶか

(ア)  キリストによる選出―召命感

(イ)  会員総会による選挙―外的召命

(ウ)  長老の資格

 

○参考資料

  • 日本キリスト改革派教会大会『日本キリスト改革派教会教会規定』
  • 金田幸男『長老主義とは何か―長老主義の原則と実際―』、西部中会文書委員会『現代とキリスト教』-小論叢書十七号、1992
  • 吉岡繁『教会の政治』小峯書店、1972
  • 竹森満佐一『教会と長老』東神大パンフレットNo.241986
  • 久保義宣『長老のつとめ』/渡辺信夫『長老制の歴史』改革社、1978
  • 藤掛順一『教会の制度―なぜ牧師、長老、執事か』教会双書6、全国連合長老会、2003

 

など。


≪資料≫『教会規定 第一部 政治基準』


教会役員の本質

第39条(一時的特別職) 新約時代の初めには,主は,超自然的な賜物を授けられた一時的特別職の働きによって,御自身の民を諸国民の中から集めて一つとし,信仰の家を形成された。これらの特別職は,現在停止されている。

第40条(恒常的三職) 教会の政治の全体は,教理・教会統治・愛の業の三つから成っている。キリストは御自身の教会を整えるために,新約時代には,教会に三職を授けられた。すなわち,御言葉と礼典をつかさどる教師の職務,治会長老の職務,及び執事の職務である。これらは教会において恒常的に継続されるべき通常の職務である。

第41条(長老) 御言葉の教師と治会長老は,共に長老と呼ばれており,教会政治において同等の権威を有する。

第42条(職務の権威) 御自身の聖霊と御言葉により,またその民の奉仕によって支配を行うことが,普遍的かつ各個の教会におけるキリストの固有の職務である。教会におけるすべての職務の権威は,キリストに由来し,職務そのものには帰属しない故に,職務に就く者は,他のキリスト者に対して霊的優位性を主張してはならない。彼らは奉仕者,弟子,しもべに過ぎない。

第9章 治会長老

第52条(治会長老) 旧約時代の教会に民の長老が立てられていたように、新約時代の教会にも長老が立てられている。キリストは、御言葉の教師以外に教会員の中から治会の任を託し得る人々を教会のために備えられた。これを治会長老と言う。

第53条(治会長老の職務) 治会長老は、教会員を代表するために教会員の中から選ばれ、教師と共に各個教会の政治訓練を行い、霊的状態を見守る

2 治会長老は、小会で選ばれた場合、中会議員あるいは大会議員として議会権能を行使する。

3 治会長老は、教会の会議において、教師と同等の権能を有する

第54条(治会長老の資格) この職務を担当する者は、健全な信仰を持ち、家をよく治め、生活に恥じるところがなく、言葉と行いにおいて、群れの模範である男子でなければならない。

第55条(治会長老の任務) 治会長老が、長老として個別的に、あるいは小会議員として共同的に行う任務は、次のとおりである。

 一 ゆだねられた群れの中に、教理と道徳の腐敗が生じないように見守ること。

 二 個人的訓戒によって正し得ない悪事を、小会に知らせること。

 三 教会員の家庭を訪問し、病める者を見舞い、悲しむ者を慰め、教会員を教え、契約の子を養い守ること。

 四 個々のキリスト信者が愛の律法によって果たすべき一切の義務を、特に治会長老として果たすこと。

 五 教会員と共に、また教会員のために祈ること。

 六 説教の結ぶ実を、注意深く見守ること。

 七 教会員の身体的・霊的問題で、牧会的配慮を要する事柄を、牧師に知らせること。

 八 御言葉を教えることに努め、教会員に率先して伝道すること。

 

第18章 教会の原理 

第116条(召命の教理) 教会における職務は、聖霊による神の召命によって任じられる。この召命は、通常、良心の内的なあかし教会員による明白な認可教会会議による判定をとおして明らかになる。

2 教会の政治は代議制であるから、教会役員を選出する権利は、教会員にのみ所属する。従って、いかなる場合にも、教会員の選挙あるいは少なくとも同意を経ないで教会役員を決めることはできない。
3 神は教会の役員を召されるとき、彼らに必要な賜物を与えて、種々の任務を行わせられる。従って、役員の候補者は、すべて会議の試験または試問を受けて、承認されなければならない。

第117条(任職の教理) 教会の役員に召された者は、教会会議あるいは教会会議が権能を委託した者によって任職されなければならない。任職とは、神の教会に役員として正当に召された者に、祈りと按手により、権威ある承認を与えることを言う。

2 御言葉の教師の任職は中会が行う。

3 治会長老及び執事の任職は小会が行う。ただし、教会設立のときは中会が行う

4 教会の職務に任職される者は、具体的な働きに召されていなければならない。

5 教師の任職を受けようとする者は、各個教会の牧師・協力牧師・宣教教師の働きに召されるか、あるいは中会が認める何らかの働きに召されていなければならない。

6 治会長老・執事の任職を受けようとする者は、各個教会において正規に選はれた者でなければならない。

 

第23章  治会長老と執事の選挙・任職・就職 

第158条(治会長老と執事の選挙) 各個教会は、次の手続きを経て、治会長老と執事の選挙を行う。

 一 会員総会を開く。
 二 必要があれば、選挙すべき治会長老と執事の員数を定める。
 三 必要があれば、候補者を指名する。その数は、選挙すべき員数の二倍までとする。
 四 投票による選挙を行い、有効投票総数の過半数を得た者を当選者とする。
 五 各個教会は、必要があれば、選挙細則を設けることができる。

2 執事は治会長老に選出できる。治会長老は執事に選出できる。
 ただし、同時に二つの職務に就くことはできない。

第159条(治会長老と執事の任職と就職) 小会または中会特命委員は、会員総会において、治会長老と執事の職に選ばれた者に対し、受諾の意思を確かめ、その信仰と生活及び本教会の憲法について、また特に、治会長老・執事の職務についての知識を試問したのち、任職式及び就職式を行う。

2 小会または中会特命委員は、次の手続きを経て、治会長老と執事の任職式及び就職式を行う。

 一 任職及び就職の誓約
 二 教会員の誓約
 三 按手
 四 任職及び就職の宣言

 

十 治会長老・執事の任職と就職の誓約及び宣言

1 任職と就職の誓約

①     あなたは、旧・新約聖書が神の言葉であり、信仰と生活の唯一の誤りなき規準であると信じますか。

②     あなたは、私たちの教会の信仰規準を,聖書の真理を体系的に示すものとして誠実に受け入れますか。

③     あなたは、私たちの教会の教会規程に従うことを誓約しますか。

④     あなたは、神の恵みによってこの職務に召されたことを確信し、神とキリストの教会への愛によって、この職務を遂行することを誓約しますか。

⑤     あなたは、いかなる場合にも、教会の純潔と表と平和のために努力することを誓約しますか。

⑥     あなたは、今、この教会の治会長老(執事)の職務に就こうとしています。あなたは、その任務を忠実に果たし、生活において福音の告白を飾り、託された人々の前に、敬虔の模範となるように努力することを誓約しますか。

(治会長老に対し)

⑦     あなたは、牧師及び先任の治会長老と共に、小会議員として忠実に教会を治め、群れを見守り、与えられた権能を正しく行使することを誓約しますか。

(執事に対し)

⑧      あなたは、主イエス・キリストの模範に従い、聖徒の交わり、特に乏しい著との交わりにおいて同情と奉仕をなし、また教会の維持のために努力することを誓約しますか。

2 教会員の誓約

①     主は、あなたがたが選んだこの愛する兄弟(姉妹)を、今、あなたがたの治会長老(執事)として遣わされます。あなたがたは、真心から喜びと敬意をもって、この兄弟(姉妹)を治会長老(執事)として受け入れることを誓約しますか。

②     あなたがたは、彼に対して、御言葉と私たちの教会の憲法が認める名誉と励ましと従順とを与えることを誓約しますか。

3 任職と就職の宣言

日本キリスト改革派(   )教会小会(日本キリスト改革派教会(    )中会)は、今ここに、(   )が御言葉に従い、また私たちの教会の憲法に従って、治会長老(執事)に任職され、この教会の役員として就職したことを宣言します。

 

教会の職務(2)長老

 

はじめに


 私たちは今年も教会設立を年間目標に掲げて、必要な賜物を祈り願いながら、学びを続けて来ています。教会設立を果たして私たち「西神伝道所」が「西神教会」となり独立するためには、教会憲法によって定められた教会の職制が規定通り整備されなくてはなりません。その職制とは、御言葉の教師、群れを治める長老、愛の業を通して群れに仕える執事の三つです。前回、4月の学習会では、その筆頭に挙げられる牧師/教師のつとめについてご一緒に学びました。今日はそれに続いて長老のつとめについて学びたいと願っています。


 私たちの教会には牧師の他にも「長老」がおりまして、教会員の中から選ばれます。これが「長老教会/改革派教会」の目に見える大きな特徴です。何故、キリストの教会がこのような制度を採るのかという理由については、聖書に基づく教会理解があり、長老制という政治形態が形成されてくる歴史的な経緯があるのですが、今日は時間の関係上、それらについては殆ど触れることができません。後ほど、『教会規定』に基づいてその原則だけ確認したいと思います。今日の話は、もっと実際的なことに絞ってお話ししておきたいと考えました。といいますのも、私たちは教会設立を念頭に、これから長老を私たちの中から選んで行かなければならないからです。ならば、一体、誰が責任を持って、どのような基準で選んだらよいのか。もし自分が選ばれたとしたらどのような心構えで受け止めたらいいのか。その辺りのことが直ぐにも心配になるだろうと思います。

 

 そこで、今日は『教会規定』をテキストにして、そこから要点を絞ってお話しします。そうした規定の背後に、一体どのような聖書理解や歴史的経緯があるのかというより突っ込んだ質問があれば、お答えできる範囲でお話ししたいと思います。また、参考文献も簡便なものを幾つかレジュメに紹介していますので、余力のある方は是非御自分でもお読みいただきたいと思います。


1.長老主義の原則と職制

 

 キリストがお建てになった教会に定められた公式の職務は、教師・長老・執事の三つと考えるのが、最も適切だと私たちは考えています。第39条にあります通り、例えば使徒言行録や使徒書簡から伺うことのできる教会の形態は、まだ家の教会で、職制も十分整備されてはいません。私たちが知る三つの職務の他にも、預言者がいたり、伝道者がいたり、監督があったり、職名も様々です。けれども、それらの働きを整理して行くと、とどのつまりは三つと考えるのが適切と私たちは理解しています。


 それは、教会のかしらである主イエス・キリストがもっておられる三つのお働きに対応します。ウェストミンスター小教理問答の問23~26を参照していただくと、聖書に記されたキリストのお働きは、「預言者・王・祭司」という三つの職務に要約されるとあります。このお働きが、復活して天に上られた後、栄光を受けられた主イエスから、地上の教会に委ねられたと看做すことが出来るのでして、それが教会の三つの職務によって果たされます。


 長老制についての聖書的根拠はもっともっと語るべきことはあるのですが、今はその原則だけに触れておきます。ただ、注として述べておきますと、『政治基準』の第7条に明記されていることですが、長老制という教会政治の形は最も聖書的なんですが、絶対とは私たちは考えていません。長老主義を採らない教会は本当のキリスト教会ではない、などと驕ったことを私たちは考えません。最も聖書的であるから最も適切であると判断している、ということです。

 

 教会政治について踏まえておくべき、より重要な点は、教会を治めるのは主イエス・キリストご自身であって、キリストの権威の下でのみ、教会の職務における権能が正しく行使される、ということです。ですから、教師・長老・執事というそれぞれの働きに、教会員を召して任命されるのは、主イエス・キリスト御自身です。それ故に、教会政治については、教会員はその職能に従うことが求められますし、選ばれた兄弟姉妹は、そのことを念頭に召しを受け、奉仕することが求められます。第42条をご覧ください。

 

 「御自身の聖霊と御言葉により,またその民の奉仕によって支配を行うことが,普遍的かつ各個の教会におけるキリストの固有の職務である。教会におけるすべての職務の権威は,キリストに由来し,職務そのものには帰属しない故に,職務に就く者は,他のキリスト者に対して霊的優位性を主張してはならない。彼らは奉仕者,弟子,しもべに過ぎない」。

 

 長老の権威は、キリストに仕えるが故に認められるものであって、その個人的な資質や信仰の強さなどが評価されたとしても、それが直接、長老の働きの権威に結びつくわけではないということです。この点についてはまた後に触れることとします。


 前回もお話ししていることですが、41条にありますように、長老主義を採る教会では、牧師/教師も長老の一人と看做されます。そして、教会を監督する役割は、この長老たちからなる会議に委ねられます。教師・長老が平等であるということと、教会を議会によって治めるということは、長老主義の原則です。


2.治会長老の務め

 

 さて、御言葉の教師を「宣教長老」と呼び、専ら群れを治める働きに従事するのが「治会長老」である、ということは前回もお話しした通りです。改革派教会の中で教会が独立するためには、教師の他に、この治会長老が二人立てられることが必要です。そして、治会長老の働きは、会議によって物事を決めて行く「議会権能」と、その会議で定められた方針に従って実際の働きをする「職制権能」に区別されます。まず、議会権能の方を先にお話ししておきます。

 

 第53条の2項にあります通り、長老は教会の中から選ばれた議員として、小会・中会・大会に出席します。小会は各個教会の長老全員によって開かれますが、中会・大会には小会から更に議員を選んで各個教会の代表として送り出します。こうした会議の段階制を持つのもまた長老主義教会の特徴です。小会・中会・大会のそれぞれの働きと関係については、既にお話ししましたので割愛します。それぞれの会議ではまた、各種の委員会が設置されていますので、議員はそうした委員会に配属されれば、自分の教会以外の働きにも召されます。例えば、わたしは今、大会の委員会での仕事はいただいていませんが、中会では、修養会準備、記録調査、教師会の三つの委員会に配属されています。

 

 そして、「職制権能」というのは主に自分の教会で、長老が各々果たさねばならない牧会的な働きを指しています。第53条によれば、それは「各個教会の政治と訓練を行い、(その)霊的状態を見守る」という務めです。

 

 もっと具体的には、第55条に治会長老の任務がまとめられています。順に見て参りましょう。

 

一 ゆだねられた群れの中に、教理と道徳の腐敗が生じないように見守ること。

 

ネガティブな表現が採られていますが、キリストの教会としての教理と道徳の純正を保つことです。これは、教会の生命線といってもいいかと思います。特に聖書に基づく純正な教理が歪められますと、キリストの教会はもはや教会とは呼べなくなります。それを守る責任が長老たち、つまり小会にあるわけです。

 

 聖書的教理の純粋性と言っても、教派が乱立する今日では、何処までが純正な教理なのかと一線を画すのは難しい問題かも知れません。一応、基準としては使徒信条を挙げることができます。三位一体の神についての告白です。これを否定する信仰は異端と看做されます。尤も、今日ではその言葉遣いを適切に用いるのが難しいのですが、聖書を神の言葉と信じて、歴史的な公同教会に連なる教会は、三位一体の神に対する信仰を告白する公同信条を皆告白します。この点ではローマ・カトリック教会とプロテスタント教会の間に差はありません。同じプロテスタント内の福音派諸教派の間にも違いはありません。

 

 ただ、改革派教会では「純正な教理」の内容をもっと詳しく広範に保持しています。ご存じの通り、私たちは『ウェストミンスター信仰基準』を聖書の純正な教理を体系的にまとめた信仰告白として、教会の憲法に採用しています。ですから、長老の役割は、この信仰基準が教会の諸活動において適切に守られているかどうかを、見守ることになります。一般信徒の場合は、公同信条さえ弁えていれば、聖餐式にも与ることができ、教会員でいることが出来ます。けれども、長老・執事には、もちろん教師もですが、任職の際には『ウェストミンスター信仰基準』への誓約が求められます。そして、教会の諸活動では、その教理に従って教育プログラムが組まれたり、伝道活動が行われる必要があるので、それを適切に見守ること、保持することが長老の大切な務めになります。案外、この点、私たち改革派教会はルーズになっているのではないかと思いますが、原則は弁えておきたいところです。

 

 また、「見守る」とありますが、第三項には「教会員を教え」とあります通り、長老が教理を指導するという場合もあります。教える務めは専ら教師に任されているのですが、男子会・婦人会・青年会や、また教会学校で指導するような機会も考えられます。何にしても、説教や礼典は別ですが、教師と長老の働きは共同作業です。

 

 教理の純正さを見守るということは、説教に関する長老の務めともなります。第6項を見ていただきますと、「説教の結ぶ実を、注意深く見守ること」とありますが、これは主に聴衆の内にみのる実を指しているわけですが、その際には語られている説教が聖書の教理に則して適正であるかどうかを見分けるのも長老の務めです。時に、教師も勉強不足や熱の籠り過ぎで逸脱しますから要注意です。それが常習化すれば、ことは戒規にも及びます。

 

 教理と牧会の問題についてもお話ししたいのですが、先へ進みます。

 

 さて、教理的な腐敗から教会を守ることと併せて、道徳的な腐敗から教会を守るのも長老のつとめです。一体、どういう問題が教会に起こるかということは、今、夕礼拝でコリント書から学んでいますから、具体的な問題を考える良い機会だと思います。主にそれは、個人において引き起こされる場合が多いと思います。それを、教会は放置しておくわけには行きません。おそらく、その多くの場合が、隠れた罪であって、教会に直接影響を及ぼすケースは稀です。ですから、長老の採るべき対応としては、第2項にある通り、まず個人的な指導を行うことです。個人のしていることについては、教会は一切関知しない、などという個人主義・放任主義は、本来の教会の態度ではありません。第3項にある通り、教会員の家庭を訪問し、病める者を見舞い、悲しむ者を慰め、教会員を教え、契約の子を養い育てる、という形で、教会員個々の生活は、教会を通じてキリストの牧会に与ります。

 

 そこで問題が起こった場合の具体的な対応が、第二項から始まるわけです。まずは牧師か長老が指導に赴きますが、それが撥ねつけられてしまった場合は、小会で取り上げられて教会戒規による指導が協議されます。それが大きな悪事であって、本人がどうしても悔い改めない場合は、陪餐停止、更には除名という戒規が執行されることになります。この教会戒規を行う権能が長老には委ねられているということは実際、大きな責任です。

 

 「戒規」の執行は、長老の職制権能というよりは議会権能の行使です。これに関連する小会の権能として重要なのは、洗礼・聖餐を受ける権利を小会が管理することです。それに相応しい兄弟姉妹の願いを吟味して、受洗・陪餐に承認を与えるのは小会の権能です。また、それに相応しくない兄弟姉妹からその特権を取り上げるのもそうです。

 

 第三項以下にまとめられているのは、牧師が行うべき牧会の働きを、長老も協力して分担するということです。これは群れを「見守る」つとめと言われます。もちろん、見ていればよいということではなくて、信徒の霊的生活が健やかであるようにできるだけの配慮を行うことです。長老は、信徒の信仰生活の模範です。社会的な地位や資格がここで問題になっていないのが分かると思います。長老の資格は、その信仰こそが基準です。それが、本人の召しの自覚と、教会生活の実践において、客観的に問われます。


3.長老をどのようにして選ぶか

 

 最後に、長老を選ぶためにどうするかという実際の話をしておきます。長老は教会員の中から選挙で選ばれなければなりません。それが、今お話しした客観的な召命となります。牧師と同じで、自分一人が確信を持っていても、キリストの召しに相応しいと教会に認められなければ、教会の職務に任じられることはありません。

 

 逆に、教会員の支持があればそれで資格があるかといえば、それも問題です。長老にも牧師と同じように内的な召命が必要です。それは、キリストが御自身の恵みによって自分に賜物を与えておられ、この職務に選んでくださるとの心の確信です。長老職というのには、時々自己推薦する人があるのです。監督の職を願うことは言いことだとパウロは言っていますけれども、何故そう願うのかはよく考えてみないといけないと思います。長老職は牧師の傍らで専ら実務に取り組むのだと勘違いして、自分ならそういう仕事は会社で鍛えているから大丈夫と自負して、長老の名誉を求める場合があります。こういう人の場合は厄介です。選挙に立候補するのは良いとしても、選ばれなかったりすると怒って教会を出て行ってしまったりします。キリストの召し、というのはそういうものではないはずです。

 

 長老の召しも牧師の召しと同じで、キリストの僕として選びだされることですから、自分を売り込むような仕事ではありません。むしろ、漁師であった弟子たちが、突然イエスの呼び声によって召しだされたり、収税人のマタイが連れだされたり、勿論それは喜びあがってついて行けばよいのですけれども、自分が相応しいなどという自覚とは本来無縁です。誰が、キリストの望んだとおりの働きを、自らの力で果たすことができるでしょうか。

 

 多くの教会で見られることですが、真にキリストに仕える長老たちの姿は実に謙遜です。自分よりも何十歳も若い牧師と対等に話すことが出来ます。人知れずに教会のあちらこちらに気を配って自分から働いておられます。有名なお話なんだそうですが、片岡健吉さんという衆議院の議長をされた方がやはり教会の長老をされていたそうです。社会的にはトップに立つような地位を得ていた人ですが、教会で担当された奉仕は下足番だったといいます。玄関で青年たちが脱ぎ捨てて行った靴を文句も言わず丁寧にならべておられたといいます。牧師がそれくらい謙遜であれたらと思わずにおれないほど、教会の長老たちは実に謙虚に奉仕されていて、その姿は感動的です。本人がそうとは思わずとも、皆さん、信徒の模範になっています。

 

 長老の資格については、第54条にこう記されています。「この職務を担当する者は、健全な信仰を持ち、家をよく治め、生活に恥じるところがなく、言葉と行いにおいて、群れの模範である男子でなければならない」。これは聖書から採られた評価基準に違いありませんが、これを無理なく体現して健やかな信仰生活を送っておられる方々が案外教会にはいるものです。ご本人の自覚よりも、そうした方々の信仰を見抜く目を持っているかどうかが、長老選挙では会衆に問われることと思います。それは、おそらくこの人は駄目だと斬って捨てる目ではないのだと思います。この人ならばこうなれると、期待をもって将来を見通す目です。そういう会衆の目に適う方が、長老に推薦され、その皆の期待を背負いながらもそれを感謝して主の召しと受け止めることの出来る方が長老に選ばれます。

 

 長老の務めは一個の教会にとっても教派全体にとっても、牧師と同等に重大です。その長老がいなければ教会は立たないのだということを心に刻んで、相応しい賜物を私たちに主が送ってくださるように祈り求めて参りたいと思います。

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