第一回 みことばを歌う歓び~ジュネーブ詩編歌の紹介  2011年9月18日(日)

Ⅰ  日本キリスト改革派教会の詩編歌に対する取り組み

 

  1.『日本語による150のジュネーブ詩編歌』出版の経緯

  2.宗教改革の遺産としての『ジュネーブ詩編歌』

  3.ジュネーブ詩編歌使用の問題と展望

 

   各国で歌われるジュネーブ詩編歌(CDの視聴と解説)

 

  ≪CDによる演奏目録≫

 

1. 詩編1編 いかに幸いな人(日本)

 『いかに幸いな人-賛美歌21の歌詞によるジュネーヴ詩編歌 Geneva Psalm水野隆一 / 関西学院聖歌隊』 

*『賛美歌21』に含まれるジュネーブ詩編歌の聖歌隊による演奏。

 

2. 詩編24編 大地は主のもの(フランス)

『フランス詩編歌集/アンサンブル・グーディメル』Le Psautier Français */ Ensemble Claude Goudimel (Champeaux CSM 0010) 

 *フランス改革派音楽協会による『ジュネーブ詩編歌集』出版に伴うCD。24編は会衆賛美風。

 

3. 詩編47編 民よ手を打ちならせ(フランス) *CD同上。4声のアンサンブル。

 

4. 詩編138編 心を尽くして(ハンガリー)

『ハンガリー宗教改革の聖歌―デブレチェン・カレッジ合唱隊』The Chants Of The Reformation In Hungary - The Debrecen College Cantus (Hungaroton HCD12665) 

 *ジュネーブ詩編歌は完成後まもなくハンガリー語に翻訳された。会衆賛美。

 

5. 詩編33編 主に従うものは(フランス/ハンガリー)

『コダーイ-ヤナーチェク:アンサンブル・ヴォーカル・エウテルペ – Ch.ゲッセニー指揮』Kodaly - Janacek - Ensemble Vocal 'Euterpe': Direction Ch. Gesseney (Gallo B000004A2G) 

 *ハンガリーの作曲家コダーイによる編曲。歌詞はフランス語。2声。

 

6. 詩編150編 ハレルヤ、歌え(スペイン)

『42の賛美の詩編』42 salmos de alabanza 

 *オランダ改革派教会の協力によって作成されたスペイン語によるジュネーブ詩編歌。会衆賛美。斉唱。

 

7. 詩編100編 地はみな声あげ(米国)

『ジュネーブ詩編歌の音楽/カルヴィン大学』Music Of The Genevan Psalter - Calvin College. 

 *カルヴィン大学の学生たちによる合唱。会衆賛美。

 

8. 讃美歌6番 我ら主をたたえまし(曲:ジュネーブ詩編歌124編)

『クリスマスクワイヤー-松蔭女子学院大学聖歌隊』オルガン・指揮:鈴木雅明(ミクタムMCD-1007

55年版『讃美歌』に含まれるジュネーブ詩編歌の例。歌詞は別物。他には1,4,5,6,12,(70),226 (351),539

 

9. 詩編24編 大地は主のもの(フランス)

『アンサンブル・レ・ファナムルーズ/薔薇を花束にして~オスマン・トルコからフランスに伝えられた歌と詩編』Les Fin'Amoureuses / Marions Les Roses - Chansons & Psaumes, De La France À l'Empire Ottoman (Alpha-517). 

 *ジュネーブ詩編歌は17世紀にオスマン王朝の宮廷音楽家によってトルコ語に翻訳された。このグループは古楽器を用いて原語で歌い、地中海音楽の源流に遡る試みを行っている。ルネサンスの遺産として詩編歌を評価し、継承しようという若い音楽家たちによる演奏。

 

10. 詩編130編 深き淵より(オランダ)

『レ・ウィッチズ/スーザン・ファン・ゾルトの手稿』 Les Witches / Manuscrit Susanne van Soldt: Danses, chansons & psaumes des Flandres, 1599 (Alpha-526) 

 16世紀末のアムステルダムに暮らしていたファン・ゾルト家の娘が書き写した譜面の中に、当時の流行していた舞曲に混じってジュネーブ詩編歌の編曲が発見されている。その譜面は家庭で演奏を楽しむためのもので、フランスの古楽グループ「ウィッチズ」はそれを楽しく再現してみせる。

 

11. シメオンの賛歌 去らせたまえ(日本)

『いかに幸いな人-賛美歌21の歌詞によるジュネーヴ詩編歌 Geneva Psalm水野隆一 / 関西学院聖歌隊』 

*『賛美歌21180番に収録。カルヴァンの礼拝式順では、最後の派遣にこの曲が用いられた。

 

1.『日本語による150のジュネーブ詩編歌』出版の経緯

 

 大会記録を調べてみますと、改革派教会においてカルヴァンによる『ジュネーブ詩編歌』を礼拝歌に用いようというような発想が創立当初からあったわけではなかったようです。むしろ、教派独自の讃美歌集を持ちたいという願いがあって、それに相応しい讃美歌をあちらこちらと物色していた時代がありました。「独自の讃美歌集が欲しい」という願いは、今日も継続しています。それは、私たち改革派・長老派の伝統に立つ、信仰告白に即した讃美歌を歌いたい、という願いです。この度の『詩編歌』は、初めて私たちが自前で準備した讃美歌集となりますが、これを除けば私たちが大会的に用いているものは、日本基督教団から出されました『讃美歌』でして、その内から280曲余りが推奨讃美歌に指定されています。今日でもその線は変らず、それに加えて『讃美歌第二編』や『讃美歌21』が教会毎の判断で用いられているのが現状です。


 しかし、「詩編を歌う」ことについては、ウェストミンスター信仰告白の21章に、礼拝に関する項目として「詩編を歌う」ことが盛り込まれていることもありまして、早い時期からの関心がありましたが、なかなか方向性が定まりませんでした。日本キリスト改革派教会が、真剣にカルヴァンの『ジュネーブ詩編歌』に取り組み始めたのは80年代に至ってからです。音楽的な賜物が与えられた専門家と、詩編歌の作成に情熱を燃やすことの出来る教師が、私たちの教会内に現れました。音楽家の鈴木雅明氏と、前神港教会の牧師でありました安田吉三郎教師です。


 尤も、このお二人が詩編歌翻訳の活動を始められる前後に、プロテスタント諸教会の動きと連動しての新しい教派的な動きがありました。1981年に開かれました大会の開会礼拝で、議長を務めておられた榊原康夫教師が第一コリントの14章を取り上げて、「知性で歌う」という説教を行いました。そのところでパウロが、「霊で賛美し、理性で賛美しましょう」と勧めをしていることから、礼拝賛美における理性の役割が強調されたのです。これは、教派が新しい賛美歌編纂に向けて20年の空白を破って再出発する契機となり、その年に第2次賛美歌検討委員会が大会に設置され、この委員会を通して改革派教会の礼拝賛美に相応しい賛美歌が模索されることとなりました。委員会は直ちに幾つかの具体的な作業を始めたのですが、その中に内外の改革派教会の賛美歌を収集する作業があり、特に各教派で用いられている詩編歌に関心が寄せられました。同時に新作の賛美歌の公募を行ったのですが、こちらは結果として不作に終わり、委員会のその後の方針は詩編歌の編纂に大きく傾いていくことになります。1984年には木岡栄三郎氏の『カルヴァンの詩編歌』並びに改革長老教会の『詩編抄集』が大会で紹介され、「詩編を歌う」運動が委員会主導のもとで教派的に進められるようになりました。


 さて、先程名前を挙げましたお二人の活動は、80年代後半に入って活発になります。賛美歌検討委員会のメンバーとなった鈴木雅明氏は、他の委員と共にカルヴァンの詩編歌を翻訳し始め、同時に委員会は「教会音楽講習会」を開いて詩編歌の啓蒙に努めました。この「講習会」は今日まで継続していまして、オルガニストの養成と教会音楽及び礼拝式についての研修の場として用いられています。詩編歌の翻訳には当初、賛美歌検討委員会のメンバー全員が携わっており、作業の終わったものから順次発表されて、それぞれ「15の詩編歌」「36のジュネーブ詩編歌」との小冊子として刊行され、教派の内外での試用に回されました。1996年には50の詩編歌が纏められまして『ジュネーブ詩編歌抄日本語による』が出版され、同時にそれについての伴奏譜も出されています。


 翻訳作業については途中で大きな変更がありました。それは、それまで翻訳作業は委員会全体の作業でしたが、安田吉三郎教師がそれを一手に引き受けることとなったからです。かつて教会音楽講習会にカルヴァン研究家の渡辺信夫先生をお招きして講演をしていただいた際、渡辺先生が個人で翻訳されたジュネーブ詩編歌があること、また、翻訳作業は個人で進めるに限る、というお話がありました。そのサジェスチョンがどういう風に作用したかは私は知りませんが、丁度渡辺先生が仰った通りの方針で、安田教師による作業が進められて行きました。それは、旧約の専門家であり、教派の礼拝刷新にも力を尽くしておられた安田教師ならではの仕事でした。


 ここでご紹介しなければなりませんのは、鈴木委員、また、安田教師と共に、詩編歌の翻訳と啓蒙に力を尽くされた、他教派の方々です。『ジュネーブ詩編歌』を日本語に直して、それを日本の教会の財産とするという大きな目的は、実に一つの教派という枠を越えて、改革派教会の伝統を汲む賛美歌を求める同志たちの間で共有された、エキュメニカルな性格のものでした。それが私共の教派で十分に理解されなかったこともありまして、結果としては2冊の詩編歌が生まれてしまったのですけれども、本来は共同作業によって今日の『詩編歌』出版が目指されていました。協力されたのは、日本キリスト教会の菊池純子先生および出版社エルピスの方々です。1999年には、賛美歌検討委員会の安田委員長より、次のようなアピールが大会に訴えられています。「詩編歌とコラールを中心に編集すれば、日本における長老派改革派の教会で共同で使うことができる。そのための共同作業ができればよいと思う。公同礼拝での使用を優先することから、『賛美歌』という名称も『礼拝歌』という名称がふさわしい」。エルピス社では、詩編歌とコラール、そして礼拝式文を含む『礼拝教典』が上梓される予定であり、『改革教会と音楽』誌上に掲載された安田訳詩編歌もそこに含まれることになっていました。


 こうして、『ジュネーブ詩編歌』に取り憑かれた熱心な方々によって、今日の出版が可能になったわけです。最終的な完成は、賛美歌検討委員会から機構改革によって組織改編された憲法委員会第三分科会が責任を果たすことになりました。完成した『ジュネーブ詩編歌』は、私共が出版しました『日本語による150の詩編歌』と、エルピス社からだされました『みことばをうたう』の二つの形態になりますが、詩編歌そのものの内容は同一です。ただ、私共の方はジュネーブ詩編歌と幾つかのカンティクルが含まれ、巻末にウェストミンスター信条への対照表がつけられていることで、教派向けとなっています。『みことばをうたう』の方は、先程もお話ししましたようにエキュメニカルな性質をもったもので、邦訳されたコラールが含まれているほか、アメリカ合衆国長老教会の共通礼拝書より採られた聖書日課が含まれています。この聖書日課は私共の本にはありません。また、私共の『日本語による〜』の方は既に版元切れとなっていますので、新しく購入される方は、『みことばをうたう』を買っていただきますようお願いします。伴奏譜については、インドネシアで編纂されたグーディメルのものを輸入しておりましたが、こちらも品切れとなりましたので、新しいものをただいま準備しています。

 

2.『ジュネーブ詩編歌』成立の概略

 

 さて、ここで『ジュネーブ詩編歌』とはそもそも何かということを簡単にお話ししておきたいと思います。16世紀の宗教改革は教会の制度的な改革を伴う御言葉に基づいた霊的復興運動でしたが、礼拝の改革もまた改革者たちの課題となりました。カルヴァンはジュネーブの教会を指導する中で会衆に相応しい賛美歌を模索していましたが、ストラスブールの教会を訪問した際にそこでドイツ語で歌われる素晴らしい会衆賛美に出会って感化を受けまして、自分でもフランス語による賛美歌を用意することにしました。カルヴァンは詩編全体の注解をも試みて、そこで回心といえるほどの経験をしていましたから、今や教職の支配から離れて信仰的な自立をしようとしている会衆の霊性を育むには聖書の詩編が導き手として欠かせないと考えていました。そこで教会の賛美には詩編を歌うのが最も相応しいとして、詩編を原文から韻律化しながら翻訳し、旋律は当時一流の音楽家たちに造ってもらうという方法を取りました。「韻律化」というのは、旋律に合わせて歌うことができるように、音節の数などを調整することを指します。そうして1539年、ストラスブールで最初に出版されたのが19の詩編による詩編歌集でした。最終的に150の詩編歌の訳を完成させたのはカルヴァンの後を継いだテオドール・ド・ベーズで、1562年に出版されています。純粋に会衆のための賛美歌集として創られたのは教会史上これが最初とのことで、カルヴァンはこれを斉唱するよう求めていましたが、作曲において詩編歌完成に責任を負ったクロード・グーディメルはその後まもなく4声部の編曲を行って1564年にこれを出版しました。私たちが日本語訳の底本にしているのは1562年までのものですが、ジュネーブ詩編歌はその後、ルネサンス音楽の遺産としてヨーロッパ各地で演奏され編曲されてヨーロッパ音楽史の中に長い生命を保っています。もともとカルヴァンは礼拝で用いられる音楽と、家庭などで楽しまれる音楽の間に区別を設けていましたが、神に捧げるための純粋さを追求した音楽が、やがて巷でも尊ばれるようになったことは教会の音楽と伝道との関係を考える上で参考になります。


 キリスト教会では後で紹介しますように、大陸の改革派教会の伝統を受け継ぐ土地で会衆賛美として『ジュネーブ詩編歌』が用いられ続けています。もちろん、礼拝で用いられる賛美歌は今日多様化していて、ジュネーブ詩編歌だけを排他的に採用している教会は見受けられませんが、カナダ改革派教会などはとりわけ詩編歌の復興に熱心で、教派の立派なHPに解説と英訳、音源が公開されています。インドネシア改革派教会もジュネーブ詩編歌を受け継ぐ教会で、大会委員会で配布した伴奏譜はインドネシアから取り寄せたものです。ジュネーブ詩編歌の幾つかは日本の賛美歌集の中で紹介されていて、『讃美歌』の頌栄539番などは最も良く知られた歌の一つです。そして今や、150の詩編歌全体が日本語で登場したということは、日本の教会史における快挙だと言えるでしょう。昨年、韓国の神学校でこの話をしたところ、先生方に大変うらやましいと言われました。

 

3.『ジュネーブ詩編歌』使用の問題と提案

 

 『ジュネーブ詩編歌』を用いることの問題は、現状として、私共の教派ではまだ市民権を得ていないことにあります。先程もご紹介しましたように、日本キリスト改革派教会では、長年、日本基督教団から出された『讃美歌』を用いて来ました。最近では、『讃美歌21』を用いる教会が散見されますが、未だにその点では非常に保守的です。後でご一緒に歌いたいと思っていますが、ジュネーブ詩編歌の教会旋法は今日の私たちの耳には馴染みがありませんし、また、奏楽の和声にも独特な響きがあります。暗い、歌いづらい、と様々な批判が委員会にも寄せられます。更に、奏楽者と讃美歌を指導する奉仕者の問題もあって、これまでの委員会の仕事には根強い反発も教会内に残っています。すなわち、神戸などの都会の教会はパイプオルガンを導入して、専門のオルガニストを擁して、礼拝の質の向上などと言っているが、地方の、お年寄りの多い、会員も僅かな教会ではオルガンさえ持つことができず、もう何十年も僅かなレパートリーの讃美歌を歌っている。そこで、新しい『詩編歌』が一体何の意味があるのか。誰がその歌い方を指導してくれるのか。やっかみとも聞こえるかも知れませんが、これは日本という土壌に独特の宣教の問題ではないか、と現委員会では捉えています。おそらくこういう問題点は、私共の教派だけのことではないでしょうし、また、讃美歌に限らず、プロテスタント教会の礼拝刷新運動とも関係することではないかと思います。キリスト教会の知的・文化的豊饒が、経済的に優位にある一部の教会の関心で占められるのだとすれば、それは教会の礼拝が世俗文化もしくは享楽となってしまったことにならないかどうか。カルヴァンにとりましても、音楽の芸術性とその楽しみは霊的な祝福であって、決して否定的ではありませんでした。しかし、彼はそれを一部の知的な人々の優越感に供するようなことはなく、彼が韻律詩編歌をつくったのは会衆が歌うためでした。そして、彼の手によって会衆賛美の喜びを知ったヨーロッパの諸教会は、競ってこれを求めて、あらゆる場所で詩編歌を歌うようになったことは、また後でCDで聴いて確かめていただこうと思っています。私共は、この『ジュネーブ詩編歌』を出版したからといって、これが即、会衆の賛美となりうるかどうかはまだ確信を得ていません。私共の教派でもパイプ・オルガンの導入はあるブームを迎えていまして、確かに、その音楽的な教育効果には意義を認めます。また、礼拝における音楽の重要性は十分に認識されていると思います。そして、この詩編歌は、そうした「意識の高い」教会では積極的に用いられているものの、多くの教会ではまだ正式な採用に踏み切れないでいます。


 もう一つ別な側面から問題を挙げますと、私たちの教派がこの詩編歌作成に携わったのは、それが「詩編をうたう」目的に適ったものと見なされたからです。つまり、そこには改革派・長老派教会の信仰の特質でもあります、聖書信仰が支えになっています。「詩編を歌う」ことは「御言葉を歌う」ことであって、聖書が教会に差し出すところの神の言葉を直接に歌えることに、私共は特別な喜びを感じます。それは、カルヴァンの意図とも共通するものです。しかし、『ジュネーブ詩編歌』は韻律詩編であって、厳密に言えば、聖書の言葉をそのまま歌うのとは異なります。韻律詩編はその音楽性を重視するために言葉を調整して、原文を短くしたり、文言を加えたりします。礼拝で行われる説教が正典の解釈でありパラフレーズであるのと同じように、詩編歌も詩編本文の解釈でありパラフレーズである、という理解の仕方で、それはやはり「御言葉を歌う」のに相違ない、という説明は可能です。しかし、だからといって、詩編歌を歌っているから、聖書に含まれた詩編は読まないで済むかというと、おそらくそうはならないのが私共の聖書信仰なのです。そこで、これは議論があることと思うのですが、詩編歌を歌うというのは、やはり讃美歌を歌うのと同じことになるわけで、他の様々な讃美歌を歌うのよりも聖書本文に近い、ということは相対的なことに過ぎなくなります。


 以上のような問題があって、この詩編歌が教会で十分歌われてその効果を発揮するに至るのは、まだまだこれからだと言わざるを得ません。


 積極的な期待としては、これが礼拝のみならず、様々な場で用いられるようになることで、キリスト教会の生み出した音楽が、音楽そのものとして世に訴えるものとなることです。これは鈴木雅明委員が特に強調しておられることで、教会音楽が教会内部の自己満足で留まっているのは間違いであって、神にささげる音楽は、音楽としても最上のものでなければならず、その評価は教会の外でも十分に受けることができる、というものです。確かに、バッハのカンタータは、彼の深い宗教性に貫かれていて教会で用いられたものでしょうが、今日それが聞かれるのは教会よりもコンサート・ホールやCDにおいてでしょう。世界のあらゆる領域で神の栄光をたたえる、というのがカルヴィン主義の目標ですから、その意図に適って詩編歌が用いられるように、というのも私どもの期待としてあるのです。


 もう一つの用法は、家庭での礼拝や個人のデボーションにこれが用いられることです。「声に出して読む」ことが今日さかんに進められますが、詩編をただ朗読するよりも、一つ一つに独自の旋律に併せて歌うことの方が記憶されやすいのは確かでしょう。聖書日課が用いられて、その日の詩編が、この詩編歌集によって歌われるという習慣が身に付くならば、教会はさらに深く詩編そのものに親しむようになるのは確かです。これについては、先に述べたような問題があることは事実です。詩編歌と詩編は違う、という問題です。しかし、これは私が個人的に思うのですが、違うのであれば、両方用いればよい。詩編歌を歌うことで、詩編への特別な愛着が与えられて、そこで改めて詩編を読み、その説教を聞くようになれれば、それでよいと思うのです。それだけ、教会が詩編にこだわる価値は十分にあると思います。カルヴァンは、詩編は教会の霊性の源泉というようなことを言っています。

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