私の体験

小寺三郎

日本の平和主義が薄れてゆく現況

 

 今、時局は国の平和主義と言う基軸がどんどん薄れて、また、あの忌まわしい戦争に逆戻りするのではないかと憂うような状況になっています。問題点として、「日の丸・君が代の法制化」「靖国問題」(安部総理の靖国神社参拝)「教育基本法の改変」「特定秘密保護法案の強行採決」「集団的自衛権の閣議決定」が挙げられると思います。このような状況の中で「昭和の体験を教訓とせよ」ということを聞くのですが、一般国民も国会議員にもあの戦争の愚かさ醜さを体験した人が少なくなっています。半藤一利という作家が「いま戦争と平和を語る」という本を出しています。半藤さんは少年時代に戦争を体験したということで、私も同じ年代に生きた者として共感するものがあります。

 

戦争体験

 

 私は昭和9年に生まれました。昭和15年に尋常小学校に入学しました。昭和16年に学校制度が変わって国民学校になりました。学校では月の初めの一日には「興亜奉公日」といって全校生揃って神社参拝をしていました。私の幼友達のAは神社参拝の時には、いつも参拝をしないで鳥居の外に立って皆の帰りを待っていました。当時、私はこのことを不思議に思っていました。後に私はAの影響でキリスト教に入信しました。キリスト者となって初めて疑問が解けました。Aはキリスト者の親から偶像礼拝について教えられていたのでした。当時の状況の中であの行動は勇気のいることであったと思います。

 学校の校庭には「奉安殿」という観音開きの小さな蔵のような建物があって、中には天皇のご真影と教育勅語が収められていました。毎朝登校時には奉安殿に向かって最敬礼をします。朝礼の時には校長先生が教育勅語をうやうやしく取り出して読み上げます。

 

疎開生活

 

 昭和16年12月8日、太平洋戦争が始まりました。初めは戦勝ムードでしたが、そのうち劣勢となり、サイパン、アッツ島、硫黄島の玉砕となりました。昭和19年に本土空襲に備えて国民学校生は都会から地方へ学童疎開することになりました。私は東京杉並から長野県小県郡別所村武石村へ疎開しました。宿舎は龍光院というお寺でした。夕方、上野駅を出発しました。駅頭では提灯に灯をつけて、日の丸の小旗をふって出征兵士を送るように人々が見送ってくれました。疎開生活は1年半でしたが、今私の人生の中でも大きな重い部分として心の中に残っています。疎開での生活は徴用出征で人での無い近隣の農家への勤労奉仕と自分たちの食糧確保のための畑仕事などでした。勉強は力を入れてはいませんでした。

 この頃、仲の良い親友である松本君と疎開を脱走しようと相談しました。いよいよ決行の時、坂道を降りて行くと、下から先生が上って来るではありませんか。慌てて左手の山へ駆け登りました。そのとき転倒して掌を切り株に刺してしまい、血が吹き出たのを憶えています。このハプニングで脱走計画は挫折しました。今も掌には傷跡が残っています。

 

戦争の終わり

 

 ある時、兵隊さんが村へやって来ました。各々道端に腰を下ろして休憩していました。私たちが兵隊さんの傍らに寄って行きますと、静かに話しを聞かせてくれる方がいました。「この戦争はもうすぐ負けるよ」と言います。「これを見なさい」と銃剣の鞘に2枚の竹を合わせた劍が挿してありました。普通は頑丈な軍靴であるはずが地下足袋でした。戦争は必ず勝つと教えられていたので、これを聞いて怖くなりました。寮へ帰っても、このことは先生にも話しませんでした。

 10万人が亡くなった東京大空襲のこと、沖縄の地上戦のことなど全く情報がありませんでした。生徒が出すハガキや郵便物も検閲にあって没収されました。広島に特殊爆弾が落ちたとのことで、天皇の玉音放送となり、先生の説明で敗戦と知りました。みんな家に帰れるということだけで小躍りして喜びました。昭和20年8月15日でした。あの兵隊さんの言ったことが本当になったのだと思い出しました。

 疎開から帰れたのは11月12日でした。出発する時には提灯と日の丸の小旗を振って送ってくれた東京の町が、車窓から見ると一面焼け野原となり、焼けたトタンや焼け木杭を寄せて作ったバラックがポツンポツンと点在していました。

 

新しい時代の始まり

 

 翌年、私たち6年生は中等学校(5年制)の受験でしたが、社会状況の混乱の中ですべて入試は無試験になりました。東京のどこの有名校でも無試験でしたが、私はそれなりの学校へ入りました。入学してから校長先生が「デモクラシー」ということで民主主義の基本について話してくれました。「人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」という、戦争が終わって初めて聞く言葉でした。それから札幌農学校のクラーク先生の「少年よ、大志を抱け」という言葉で励ましてくれました。これを聞いて感動しました。これからは新しい時代になるのだと希望が湧いて来ました。

 あれから戦後69年間、日本は平和主義のもとで平和が守られて来ました。しかし、今、現状は先きに挙げた問題点によって体制が整えられて、戦争が出来る国へと進もうとしています。「歴史は繰り返す」といいますが、太平洋戦争前にも同じような状況にありました。法律などの体制が整えられて戦争が始まったのです。

 かつて戦時において教会は時の権力に抗しきれずに大きな過ちを犯して来ました。このことの悔い改めと反省の上に立って、平和が守られて来た今、二度と戦争の出来る国に走らないことを願うものです。

 

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